最高裁判決におもう――異次元国家日本―― 2008.07.18
旧長銀頭取ら最高裁で異例の逆転無罪―― と,あろう事か信じがたいことが起きました.
会計の起源とされる古代ローマ時代,そもそも「資産の運用は奴隷(以下,使用人)にさせるもの」でした.決して自らするものではありませんでした.つまり,自分の財産はその運用を使用人に委ね,受託者たる使用人はその結果を委託者たる主人に正確に報告しなければなりませんでした.それが「資産運用(株式投資)」の原初的姿です.
現代においては,資産の運用を委ねる株主にたいして,「一年間のあがりは,これだけでした.資産内容はこうした実情です」と受託者たる経営者が報告する,それが株主総会における財務諸表(決算書)のあるべき姿なのです.
がしかし,「株主の資産が,本当は存在しないにも拘らず存在するかのごとく,利益が出ていないにも拘わらず出ているかのごとく“粉飾して報告する“ことが―― “悪いことではありません”――株主の利益は損なわれてもいい」などと……することは到底容認されるはずの無いことでありまして,こうした理不尽な最高裁判決が罷り通るこの国を外国人投資家は,どのように見たことでしょう――もう二度と,この国に投資する気が起こらない――と,おもうのはわたしひとりでしょうか.
2008.07.18は,「未だに,日本は資本主義ではありません」と世界中に高らかに宣言した歴史に残る一日でした.
①裁判官は立法権を持たないにも拘らず,後付(判例)で新しい運用方法(ルール)を決め――法治国家の枠組みを壊す,②裁判官が,「資本主義」がそもそもなんたるかを理解しないため――国益を損なうう・・・・・・が多すぎる<戦略なき国家>,をいかがごらんになられますか.
日経一面トップと読者の認識 2008/06/26
きょうの『日経新聞朝刊』2006/06/26一面トップに、「上場企業4割実質無借金」の見出――①「手元資金が有利子負債額を上回る実質無借金企業は2008年3月期末に全体の四割(654社)を超え、<中略> 00年3月期末以降で最高となった。」さらに②「負債圧縮の結果、上場企業は金利上昇など金融環境の変化に左右されにくい経営体質にかわってきたといえる。③ただ、手元資金が積み上がった背景には、日本企業が手元資金の有効な活用方法を探しあぐねている事情もある。」そして「<中略>④今後は積み上がった資金を(a)設備投資や(b)株主への利益配分など、企業価値の向上に振り向けることが一段と求められる。」と活字が躍る。
さて、この記事を皆さんはいかがご覧になるでしょうか?
結論から言います。これは、わが国企業の将来に暗雲立ちこむ状態を意味します。成す術が無い――すなわち、資金を投資する対象がない状態にあるからこそ、①実質無借金・・・なわけです。通常、ファイナンスでは、資本コストを超えるキャッシュフロー(ないし利益)が将来にわたり得られる限り、「実質無借金」などといった状態は考えづらい、とするのが普通です。その場合、株主資本で賄え切れない分は当然、借金に依存すべきであり、むしろ借金は資本コストを圧縮する効果があることから、株主資本よりも企業価値の創出効果が高い、と考えられています。
わが国では、伝統的にその辺りの理解が周知されずに来ましたが、欧米では一般的な考え方です。そこが、金融においてわが国が欧米諸国に大幅な遅れをとっている所以であり、その辺りの理解が無い限り、わが国企業は欧米あるいは中国・インド企業の軍門に下らざるを得ない状況が考えられます。これについては、「ルールは資本主義、思考は社会主義 2008/06/09」 にそのわけを記しましたのでご覧下さい。
また、実質無借金を「経営者の職務怠慢」とみる、のが欧米流の考え方です。②金融環境の変化に左右されにくい経営体質は、いわば「無菌状態」に等しく、中長期での企業体力の弱体化と企業の官僚化を招くもとと考えられています。
最後に、④の「(a)設備投資と(b)株主への利益配分」とは、いずれも企業価値に繋がるものですが、その性格が全く異なります。(a)設備投資は将来キャッシュフローへ繋がる前向きなものであるのに対して、(b)株主への利益配分はその逆の作用、すなわち、後ろ向きの価値創出策に過ぎないものです。つまり、「村上ファンド」が無能な経営者の退陣並びに資産の返還を要求したのに等しい――「預けた資金で稼げないなら返してください。お宅よりもっと有効な投資先へ預けますから・・・」といった性質のなのです。
フィルトレーション 2008/06/26
フィルトレーションという概念があります。これは数学用語ですが、「明日の株価は、明日になれば分かる」といった意味のものです。将来は、そのときになれば分かります。しかし、“そのときになってからでは遅い”こともあります。
「間に合わなかった」、「あのときに、もっとこうすればよかった」といった思いは、誰にもあるものだと思います。それは、フィルトレーションによって知り得た状況が、そのように認識させるわけですが、「こうすれば、こうなったはずだ」という機会認識は、明日になって株価が明らかになってからでは、価値がないのです。「いま、こうすれば、明日にはこうなる」という機会は、明日にはその機会の効果、つまり消費期限が過ぎてしまうのです。
昨日(2008/06/25)「原油高の真相」と題して、問題化している「原油高」が、BRICsとの市場統合を背景とする「価格調整過程」、すなわち、本源的価値への回帰現象がもたらすものであることを述べました。価格調整は①デフレ→②インフレ→③通貨価値調整の過程を通じて大きなうねりとなり、私たちはその渦の中にいやおう無しに巻き込まれて行くのは必至です。がしかし、フィルトレーションの下で①~③には、「富を増やす機会」も「富を無くす機会」も享受できることを知らなくてはなりません。①②③は、何れも「機会のオプション」を私たちに与えてくれます。それを、どのように行使するかによって私たちには、全く異なる将来が待っています。
原油高の真相 2008/06/25
世界中が全く新しい「価格体系」へと移行する過程にある。これが今日的状況、すなわち原油を中心とする一次産品の高騰を説明する適当な答えである、と考えます。
つまり、先回(『ルールは資本主義、思考は社会主義』2008/06/09)、「二つの部屋を隔てていたドアを一斉に開けたとしたなら、どうなるでしょうか?」と、資本主義経済圏が共産圏を取り込む90年以降の状況を書き記しましたが、――「ドアを開けた」=グローバル化によって、先進国の10億人の市場が、BRICsその他諸国の30億人もの人々の市場との統合――価格体系の全く異なるこれら2つの市場が一つになることによって、我々(暖かい空気)がBRICsの冷たい空気に引き込まれて行く現象が起きてきました。これが「デフレ」の主因です。――冷たい空気が、これ以上上がらない、暖かい空気も、これ以上下がらない――収斂されるまでは、デフレが続くわけです。そして、今日起きている「原油」その他の一次産品の高騰は、2つの市場(空気)が一定の状態で落ち着き(収斂され)、次なる動きが始まったことを物語っています。つまり、それが世界中でこれから起こる「価格調整」の始まりなのです。「価格調整」をひと言でいえば、本源的価値への回帰です。つまり、価格において日本が中国と同じになることです。それは、不動産価格・賃金・その他すべてが、中国と同じ体系になることを意味します。これまでの第一段階「デフレ調整過程」には長い時間がかかりましたが、第二段階の「インフレ調整過程」は比較的短期で移行するものと、考えています。――「あっ・・・・という間」です。
『日経新聞夕刊』2008/06/24 に「日本、所得流出際立つ」と題して「資源高の影響を自動車・電子デバイスその他において価格転嫁が進まず・・・結果、交易損失26兆円に(08/1-3)」といった状況にある旨、が掲載されていますが「市場統合」は原材料のみならず食料も同時に高騰し、自給率30%台のわが国においては、貿易赤字転落、外貨準備マイナスの状況は必至と・・・(原油の自給を加味すると、食料自給率は数パーセント/食料も原油で出来ている)。
※ 価格転嫁出来ない=負のスパイラル=貿易赤字 → 食料供給(輸入)困難
歴史を遡れば16世紀の欧州においても「市場統合」が起きています。それは、地中海沿岸(ギリシャ・エジプト)から北部(イギリス・フランス・ドイツ)へと、欧州の中心が移行する過程で、革命的な「価格調整」――非連続的な価格体系がその後形成されていった歴史があります。当時の物価の中心は、食料と衣類でした。がしかし今日のその中心は、原油であり食料であり――生命維持に必須のものです。また、その規模においても大きく異なります。
すなわち、あるモノは数百倍に、あるモノは数十倍に、あるモノはマイナスに・・・と、数ある品目ごとに価格競争を起こし、そのスピードを品目あるいは地域(国)ごとに競い合う状況が起こるものと考えられます。人間の力では成す術が無い程のスピードで、それは起こります。この度の「ガソリン」の高騰を思い浮かべてみて下さい。――がしかし、これから起こる調整は、世界中で一挙に――それもパラダイムが劇的に変化する程のものです。それによって、我々は異次元の世界を経験することになるでしょう。
それは、第一段階「デフレ調整過程」→第二段階「インフレ調整過程」→第三段階「通貨価値調整過程」の変遷を経て完結します。
※第二段階「インフレ調整過程」の初期(現在)では、ドルと原油とが反比例する状態にあります。これを「投機筋が原油価格を吊り上げている」とか、「産油国が供給を抑えている」とかの報道がされていますが、その真相は第三段階に入る頃には一般にも見えてくるものと考えられます。――「通貨からの価値逃避が起ろうとしている」、と考えるのが適当かと。
篩いにかけられる時代 2008/06/25
4年前に私は、『ベンチャー企業のスペシャリスト』という本の中で、「ポスト・デフレ下の戦略のカギ」と題して次の点を指摘したことがあります。
「 価格上昇局面では、価格上昇スピードのもととなる商品や役務提供の競争力が問われるのではないでしょうか。<中略> つまり、商品・役務(収入)は、一方で内部の給与や支払利息などすべての支出と、そのスピードを競わなければ経営が成立たない。ポスト・デフレ下(経営がふるいにかけられる時代)の戦略のカギは、そうしたところにあります。」
当時、デフレの真只中にありました。そして多くの人々は、デフレが永遠に続くかのように・・・考えていました。中国をはじめ発展目覚しいBRICsからの安価な商品で溢れかえる市場――、有史以来の類稀な金利水準――は、心地よいそよ風となって感じられました。そして、そうした状況にすっかり慣れきったころが最も危ないものです。――心理学や行動経済学において多くの研究者が、「人間は非合理的な存在で、変化に対して『何もしない』ことを選択する傾向が強い」ことを実証している通り、「そよ風に慣れきった状況」によって、次のトレンドに十分な舵を切れなくなる傾向がより強くなるからです。それは、「ゆで蛙の法則」と一緒です。蛙が、沸騰したお湯に入れられたなら直ぐに飛び出ますが、温い状態から段々に暖めて行ったならば沸騰するまで気づかずに、最後は「ゆで蛙」となってしまうのと同じことで――我々も「ゆで蛙」になっていた(いる)、のが今の状況ではないでしょうか。
私は以前から「固定金利」への切換を奨め、クライアントの多くは「固定」を主にしています。一般には、現在でも固定での借入れは(住宅系を除けば)全体の極めて僅かな比率に留まっているのではないかと思います。しかし、これが大きな爆弾となって事業を持ち堪えられなくする日が近づきつつあります。――数値分析(インタレスト・カバレッジ・レシオ)によって、その分岐点を知ることができます。既存の変動金利借入金が、金利水準の許容幅と期間において、どの程度持ち堪え得るか、を読み取ることができるからです。
ルールは資本主義、思考は社会主義 2008/06/09
覇権シフトは、長年に亘る歪みを解消する働きがあります。「歪み」の解消の始まりは、米ソの冷戦構造の終結によるものでした。
皆さん、このように考えてみて下さい。
氷点下の外気のなかにあって、ドアを隔てた二つの部屋があります。ひとつの部屋はストーブを焚き真夏のような気温に、もうひとつの部屋には暖房は無く外気と変わらない気温であるとします。二つの部屋を隔てていたドアを一斉に開けたとしたなら、どうなるでしょうか?
皆さんは、暖房のある方の部屋にいます ―― 氷点下の外気が流入してくる状況を想像してみて下さい。最初は、心地良い冷気を好感することでしょう―― しかし、程無くそれが一変するはずです。
90年以降の世界は、こうした状況にありました。資本主義経済圏が共産圏を取り込む最中、他方わが国のバブル絶頂期―― 経済界ではこれを好感し「商圏が倍になる」と考えたのでした。その後の凋落が示す通り、財界首脳の多くは、先を“読み違えた”のでした。
そして、あれから20年を経た今もなお、わが国のリーダーの多くが、潮流を掴めずにいます。折しも、世情を騒がせた「ライブドア/村上ファンド事件」の当時、財界を代表する経営者が「会社は社員のモノ」と公然と答える姿は、諸外国の人々の目にはどのように映ったことでしょう―― 。
そうした人々の認識は、「明治維新を迎え鉄道が通る時代に、草鞋を編み籠を担ぐことの時代錯誤をなんら疑問視しない」ものと等しく、潮流とは縁遠いものです。
時価総額経営を標榜する近時、わが国でも昨年から株式交換による企業買収が解禁されました。自社株の一部を放出することによって、他社を買収する―― 時価総額1兆円の企業は、その1割に相当する株式の放出によって、時価1千億円の企業を買取ることが出来る。そこでは、市場での資金調達も必要としないのです。したがって、株価が上がれば上がるほど、世界のマーケットから欲しい企業を買ってくることが出来る、そうしたルールをわが国は容認し法制化したのでした(2007/05/01施行)。もっとも、それが世界のスタンダードなのですから、わが国だけが容認しない、とするダブルスタンダードが通るわけもなく、済し崩しの状況です。
⇒三角合併容認による影響その他 ↓ ①企業価値≒株価、の創出を伴わない賃上は、今後は生じ得ない。 ②敵対的買収防衛策は、株価を下げる働きに作用する。
リセットされる日本 2008/06/06
「貨幣価値の劣化=バブル崩壊」と「知識の伝播」はセットでやってくるものと考えます。それによって、途上国と先進国との収斂が起こることでしょう。百余年前の明治の時代には、1円=1ドルでした。その後、(戦後)360円=1ドル→(現在)105円=1ドルへと。パラダイム変化は、これとは逆のスパイラルによって、「円」は途上国の通貨と横並びの状況になるものと考えられます。それは、日本人も中国人も、その価値は同じである“はず”だからです。日本人の労働に対する賃金が中国人のそれに比べて数倍もの格差があることの不思議が解消されていきます。人間の価値、モノの価値は、中国にあろうが、日本にあろうが本質的には一緒な“はず”のものだからです。それは、中国の購買力に比例して進んでくるものと考えられます。
覇権のシフトに伴うパラダイム変化は、歴史上――覇権が移る都度、そうした歪みを解消する働きをしてきました。そののちの日本を考えるならば、強烈な格差社会の出現が予想されます。これも、ある意味――戦前の状況へと回帰するものであります。皆さんがご存知の通り、戦前のわが国も強烈な格差が歴然と存在しました。そこには、ロスチャイルド系の「三井」や「住友」、ロックフェラー系の「岩崎(三菱)」といった財閥を頂点に、中央でも地方(地方財閥)でもピラミッドが形成されており、その上下差は極めて大きなものがありました。そこでは一族共栄の理念の下、血縁による強い結びつきを背景に排他的な状況がありました。
さて、この百余年のそうした格差の発端は、「明治維新」にありますが、理解のためには、そもそも「維新」がヨーロッパ系巨大資本によって支援されてきた経緯を知ることが必要です。そして、その後の改革の多くがそうした巨大資本の支えによって実現したことを。――先回の覇権シフト(イギリス→アメリカ)の理解にもつながるばかりでなく、その間の世界の潮流と日本の置かれた状況とを知る意味でも大きな意義があります。
パラダイム変化への備え 2008/06/05
パラダイム変化は、突然やってくるものです。歴史的視座に立ち「覇権シフト」を概観することで視得てくる共通点があります。それは、「バブル崩壊」です。今日の世界はアメリカの覇権の下にあります。遡れば覇権は、中世イタリア→スペイン・ポルトガル→オランダ→イギリス→アメリカの順にシフトしました。時代のうねりは、長く緩慢な時の流れから突然の瓦解を引き起こし、幾度となく人々を翻弄してきました。
バブルは、物の価格が価値を超えて騰がる状態、と考えられますが、“通貨の信用が膨張した状態”と視るのが本当ではないでしょうか。 バブルは、「需給バランスの歪み」に起因します。――すなわち歪みは、供給過多の状況において、①需要不足を「借金」で賄い、かつ、②その借金が将来キャッシュフローの創出に反映しない、という二つの条件の下に起こるもので、通貨の信用膨張=貨幣価値の劣化を通じて、実体経済へ影響を及ぼします。
以上を踏まえた90年以降の状況は、次の通りです。
①「需要不足」は、需要サイドの購買力不足によって起こります。賃金の上昇率が生産性の上昇率を下回る購買力不足の状況下、生産余剰を需要サイドの誰かが賄わなければ経済の失速は必至です。――そのために政府が、国債を発行し需要不足の帳尻を合わせてきました。
②「将来に亘り得られるキャッシュフロー」は、経済価値を決定します。将来キャッシュフローに結びつく借金は、経済価値を創出し、財政を潤す作用があるために有効です。――がしかし、度重なる財政出動も、負のスパイラルに働き歪みを大きくしてきました。
つまり、返す当てのない借金を承知で経済を維持してきた、のが真相です。――いずれ、風船が破裂するのと同様に、借金の清算は、通貨の価値調整を、さらに実体経済の瓦解を通じて本源的状態へと回帰させていきます。
わが国の「財政問題」は“深刻”で、財政学者の間では、「デッドラインを超えた」とする向きが大勢です。10余年前には、通産省と経済企画庁から「21世紀前半に財政が破綻する」旨のレポートが報告されています。なお、こうした情報は枚挙に暇がありません。
さて、「円=日本の通貨」は「日本銀行券」です。これは、日本銀行という株式会社が発行した「金券=紙幣」です。そうした理解を深めるためにも、日本銀行の「財務諸表」を一度ご覧になることをおすすめします。
私は、いまの状況を「エレベーター」にたとえて考えます。それは、各々が“乗っているエレベーターの行き先が分からない”のです。上階へ行くつもりが、着いた先は地下の「霊安室」かもしれません? また、その逆もあります。止まって扉が開いたのち「外の景色を眺めてみなければ、何処か」が分からない、今の我々はそうした状況にあります。
⇒借金には「良い借金」と「悪い借金」とがあり、その違いとメカニズムについては、「経済価値創出の理論」によって科学的に説明できます。 そうした理論と手法は、「コカ・コーラ」、「ゴールドマン・サックス」、「クレディ・スイス」をはじめとする世界で300社を超える企業で採用されています(1998年時点)。
⇒バブルの発生条件(①②)を踏まえれば、世界中で起きている様々な状況――たとえば、「ドバイの不動産高騰」などは、如何なるモノなのか? といった真相が見えて来るはずです。理論は「勘所」を掴む働きをします。
知識革命の時代 2008/06/04
近時、企業経営を動かす機軸は、ファイナンスに由来する手法にあります。これは90年代以降、米ソ冷戦終結後の世界の枠組みの創造 ――グローバリゼーションの実現に向け金融工学を背景に米国で開発され戦略的に定着していったもので、以後の世界の経済・経営はそうした新しいメカニズムによって動いているのが実情です。他方、インターネットは本来、米国の軍事機密で冷戦終結後に民間に開放されましたが、それによって世界が一大変革を遂げたことは周知の通りです。米国主導のグローバリゼーションは、そうした技術革新と知識革命、さらに米国の諸外国への政治圧力――わが国では金融ビッグバン以降、一連の改革(会計制度、司法制度、税制その他の米国制度への統一化)要求に応えた――があいまって我々の置かれた状況を一変させました。
こうして変貌を遂げたパラダイムの下、我々自身が従来と何等変わらない、あるいは手立てを持たないために、今日的状況において何が起きているかを読み取れず、ないしは対応を誤り様々な場面でミスマッチが生じているように思われます。たとえば、経営においても同様のことが言えます。かつては、「黒字」でありさえすれば十分でした。経済が右肩上がりの時代には黒字の中身までは求められませんでした。すなわち、“経験と勘のみの経営”がまかり通ったのが、かつての時代でした。
しかし90年代以降、それが一変しました。黒字か否かよりも、その中身、つまり、収益性とその源泉が重要視されるようになり、同時に、資本の効率性と機会費用に着目した経営が定着して行きました。ソニーやトヨタといった企業の経営者は、「利益」よりも大事なものがあるという考えが普通です。もはや、かつてのように「利益」といった単純な概念での経営の舵取りは行われなくなり、より科学的な経営の認知が深まっていきました。その変貌ぶりと人々の認識とをたとえるならば、「明治維新を迎え鉄道が通る時代に、草鞋を編み籠を担ぐことの時代錯誤をなんら疑問視しない」、かのようなものに映ります。それは、機軸に関する知識の伝播―すなわち、知るか知らないか―に起因するものです。リチャード・セイラー等が「行動経済学」において唱えた“人間の非合理的行動に関する仮説”がグローバル資本主義の名の下で実証されようとしています。覇権が米国へ移った先回のイノベーションの特徴が18世紀後半~19世紀中葉の産業革命を通じて眼に見えた変革であったのに対して、このたびのそれは言わばバーチャルな変革であるために、そうした歪が大きく様々な形でノイズとバイアスが生じています。
そうした点に着目したのが、世情を騒がせた「村上ファンド」や「ライブドア」の買収劇でした。資本の非効率性ゆえのターゲットが「ニッポン放送=フジテレビ」であったわけです。資本にもコストがあり、それを超える収益が得られなければ株式の価値は下がります。さらに資本は特定の国に帰属することなく、瞬時に世界中を駆け巡る性質があります。国境の概念が希薄化するなか、世界中からやって来た資本は、かつての概念を超越して動きます。――「株主の資本を無駄にするな」と、もの言う株主の洗練された論理がわが国で受け入れられることはありませんでした。これは、世界を動かす機軸との対峙を意味します。
非公開のオーナー企業や個人の事業者であっても同じことです。非効率であることは、その分資本が無駄に働いていることを意味します。株価算定の結果、簿価を割る状態にあっては、黒字であること自体なんの価値もありません。グローバル企業とドメスティック企業との間で二極化が進んでいる現在、機軸に起因するそうした趨勢は(いまのパラダイムが変わらない限り)さらに拡大していくものと考えられます。多くのケースで、財務が不適切な状況にあることに気づかずにいる最大の原因は、人々の“認識”にあります。それは「機会費用」と「リアル・オプション」に起因するもので、価値の劣化がどのようなメカニズムで生じるか、の勘所にあるようです。そうした知識の伝播は機軸を知る者と、それ以外の者との間で富を移動させていきます。知識は国境を越え、かつて後進国と目された諸外国の人々がそれを得ることによって、わたし達を凌駕する日が目前にあります。
⇒世界は、90年を境に異なる「知識」を軸に動きだしました。知識は、今の時代を――少なくとも二つの、異なる景色に映し出しています。